2019年5月31日
カウンセリング治療を希望する人が増えています

30年前は、精神科を受診する人は、ほとんど重度の症状を持っている方でした。

統合失調症や重度の躁うつ病の方が多く、入院と外来を行き来する人も多くおられました。

最近では、軽度のうつ病の方や重症ではない不安障害の方も割合、通われています。

病院では、たいてい臨床心理士がいますが、心理テストに徹している方もおられるし、カウンセリングに対応している方もおられます。

現在の医療の問題点は、心理士がカウンセリング治療を行っても、保険適用にならないことです。
そのことがずっと課題になっていましたが、つい昨年、公認心理師という資格ができて、その試験が行われました。
今後、心理治療にも保険適応がきく可能性が広がりました。

治療の選択肢が広がるのは、よいことです。
一方、カウンセリングを魔法の杖のように捉えられている方も散見されます。

病状が重い場合には、お話するにしても内容が頭に入ってこないため、カウンセリングよりも休養と薬物療法の方がよいことがあります。

また、統合失調症の増悪期には、カウンセリングをすることで、頭が混乱して、かえって具合が悪くなるケースもあります。

どの病気で、どういう治療が適しているか、ということを考えた上でのカウンセリング治療が必要です。

さらに、カウンセリングと言っても、アプローチの手法がたくさんあります。
フロイト、ユング、アドラーなど、学派によって、心理士の見方やアプローチの仕方も変わります。

個人的な相性がどうかということもとても大きな要素です。

薬ばかり使う治療にも疑問に感じます。
一方、人生相談に健康保険を使ってもいいのだろうかという疑問も持っています。

今後、幅広い治療の中から、適切な治療を選択することができたら、うれしく思います。
カウンセリングを受けることでよくなる方もおられれば、そうでない方もおられます。

私は、カウンセリングを希望される方は、そこで投薬も受けた方が金銭的に節約できるため、「転院する」という風にとらえています。
そのため、カウンセリング紹介の患者さんは、紹介先に留まることが多くなります。

しかし、そうでないケースもあります。

カウンセリングで紹介した方が、
「自分の思いをばっと話したけど、それで楽になったかどうかわからない」
と言われました。
費やした時間は1時間くらいだったそうです。

自分の思いを打ち明けると、楽になるケースは確かにあります。
私自身も相応の時間は、傾聴しています。
30分を超えることも多々あります。

しかし、多くの時間を費やさないと足りない方、また、それだけ話しても足りない方は、心理学的な治療介入が適しているのかと思います。

先日も、突発な出来事があって、30分くらいお話した方がおられました。
その方は、調子がいいと、そんなに長い時間を要しません。
今回は、車の事故をめぐって、自分の腑に落ちないことを語られたのです。

診察後に、「人生相談みたいなことをしてすみません」と言われました。
治療というより、わだかまりやグチの吐き出しをしてしまったと思ったのでしょう。

私のHPにも「当院は、病気の相談をするところです。人生相談はしていません。大学病院でも行っていません」と明記しています。

でも、治療の過程で、グチや人生相談の話が出ても不思議なことはありませんから、端から否定せず、時には、看護師も交えて、ある程度は聞いています。
ただ、毎回、延々とグチを言われる方に対しては、精神医学的治療よりも心理的治療の方が適していると考え、カウンセリングを行っている病院やクリニックを紹介しています。

それで、落ち着いている方もおられる一方、満足しなくて、戻って来られる方もおられます。
ただ、転院した以上、以前のところには、戻りづらいという面があるので、実情は把握できていません。

比較的、最近来られた方で、当院からカウンセリングを紹介した方は、カウンセリングに満足していないようです。
カウンセリングは、他院で、投薬治療は当院で行いたいと明確に言われました。
また、カウンセリングも意義があるのかどうか分からないけれど、次回の予約を入れたから、次は行って、それから、続けるか止めるか判断するようです。

当院は、心理士のカウンセリングほどの時間はとれませんが、やや短めのカウンセリングは、ある程度、行っています。
また、、定期的なカウンセリングではありませんが、私自身の内面から出るアドバイスは行っています。
その助言は、一般的なものもあれば、私にしか語れないものもあります。

カウンセリングを受けながらも、私のところに通うことを止めない方は、私のところでも何か得るものがあるのでしょうか。

主治医を変えないで、認知行動療法を受けることをできるようになっています。
カウンセリングについて、過大評価も過小評価もしない風潮が広がっていくことを願っています。