2016年6月12日
ミシュラン店が閉店していた

GW京都に行った時、そう言えば、以前訪れて旨かった、ミシュラン店は、その後どうだろうと気になった。
最近、物忘れがひどく店の名前を思い出すのにしばらくかかった。

ようやく「桜田」という名前が脳裏から浮かんできて、食べログで検索してみた。
すると、表示に「閉店」とあった。
昨年のできごとのようである。

その店は、京の料理を比較的手軽に、そして、リーズナブルな金額でなく味わうことのできる店であった。
閉店は、予定されていたことから、料理長が引退したのかもしれない。
一時、ミシュラン2つ星、後に厳しい評価になって、多くの2つ星が1つ星に落とされたその1店であった。

京都の夏、大文字焼きがある日の夜は、店に他の客がなく、料理長と女将さんが自ら送り出してくれた。
そのチャンスも、もうないということになる。

さて、今回、学会による東京への訪問で、天ぷら店を2カ所訪れた。
1つは、ミシュラン1つ星で、人気の高い、「深町」という店である。
ここは、食べログで長い間、天ぷら部門で1位の人気だった。
最近、新しい店が急速に順位を上げて抜かれたところであった。

今回、親子が連携してやっている姿をみて、システムとして効率良くしながら、きちんと仕事をしていると感じた。
おそらく息子さんと思われる後継者がかなり作り手として活躍していた。
名を築いた親父さんは、息子さんの所作を厳しい目で見つめている。
揚げについての1つ1つの所作やタイミングをチェックしているものと思われる。

代が代わると、同じ味でも「味が落ちた」と言われることが多いから、本当に味を落とさぬよう、親父さんも真剣なのだろう。

お昼の料理で、量は多くはなかったが、かき揚げをつけ、おまけにウニの大葉巻きを追加してもらった。
これで、お腹も満たした気がした。

もう1店舗は、食べログで6位くらいになっている「よこた」というお店で、興味を持ったので予約してみた。
かつて、ミシュランをとっていたようだが、最新の2016年版では、掲載がない。
この理由については、落ちたのか、辞退したのかは分からない。
天ぷらを揚げて、37年になるという主人だ。

深町では、概ねすべての客に同じペースで配膳していくのに対し、
よこたでは、1組に対して、集中して揚げていく。
レモン汁に塩をスプーン3杯入れてください、という提案が面白かった。
なるほど、以前より、レモンにつけて食べるのが楽しくなる。
内容に対して、値段が良心的なこともよかった。

さて、東京に滞在して、ふと思い出した。
昔、天ぷら屋でも、高慢ちきなミシュラン店があったなと。
そこは、電話をした時点でいきなり感じが悪かった。

「いついつの何時くらいは空いてますか?」と訊ねると、早口で、「ああ、それはムリ、ムリ」と投げやりにいい、代わりの時間帯の提案もしようとせず、すぐに切った。
印象は悪かったけど、一度だけは行ってみたいと思い、気を取り直して、少ししてからもう一度連絡した。
すると、今度は、女性が対応してくれて、早めの時間なら空いていると教えてくれたので予約をとった。

その店は、銀座の中にはあるけれど、店の入り口には、車では入らない小路にあった。
そして、流行っているかと思いきや、入ってみると、他の客はいなかった。
その内、客がやってくるだろうと思っていたが、来ない内に料理が始まり、私と主が対面で1対1で対峙するような食べ方になった。
その間、少しだけ会話をしたが、客を小バカにしたような不快なことを言った。
専門家ではないので、詳しいことは知るか!
それにこちらは、いばってもいないし、落ち度があるのか?
あんたは、特別に偉い存在なのかと不愉快になった。
結局、食べ終わるまで、他の客が来ることはなかった。
終わった時間は、当初の予約を考えていた時間なので、あれは、何だったのかと不思議に思った。

そして、味は悪くはないのだけれど、よくもないため、もう二度と行く必要はないと感じた。
そして、不快感は、食の楽しみにマイナスに働くことを考えると、到底、ミシュランレベルの店ではないと思った。
金輪際、行かなくていい店、後生、会わなくてもいい主と判明し、人生でやり残したことが1つなくなったことだけはよかったと思った。

今回、その店のことをふと思い出した。
「あさぎ」という店である。
食べログで調べると、ここも「閉店」とあった。

私が訪れた時点で、もう商売する気がないように感じたので、格段不思議には思わなかった。
ここが、まだミシュランをとっているようなら、ミシュランの評価もさらに疑問をつけるところであった。

深町は、職人気質のところがありながら、客を大切にしているという心構えも感じることができた。
人を人として扱わないようなところで、食い物を食っても旨くはない。
それは、当たり前のことだ。
私たちは、大金を支払って、「エサ」を食いにやってくるのではない。