2016年1月14日
俳句に論理はあるやなしや?


芸能人を登場させて、雪を走る列車と海を描写する課題が出された。

ぞれぞれに点数をつけ、
才能あり、凡人、才能なしと分類した。

各人が読んだ句は、私にも思うところがあり、これはいけない、これはいいかなと思えるものがある。
そして、その見解が評定する先生と一致したものもあった。

俳句の場合、「これはいけないだろう」という方が分かりやすい。
いいと思えるためには、言葉の感性、景観やその他の五感による感性、そして、それを指摘する論理力が必要となる。
句に点数をつけるだけでなく、添削して、手直しした点はなるほどと思えた。

確かに、感性豊かなで経験豊富な人の紡ぐ句は、情感あふれるものが多い。

ただし、俳句の同人誌については、私は批判的な意見を持つ。
長年投稿している人は、優遇されて、掲載率が高い。
さほどいいとも思えない句が採用されていることが多い。
一方、始めたばかりの新人では、一句のるくらいが関の山だ。

長年やっている人で、こんな句の投稿があった。

「ビールには うまし ウィンナーソーセージ」

ビールだから、夏の句だろう。
この句を改めて文字にして、かみしめた時、ビールとソーセージの2つの食べ物が重複していることが分かる。
それをつなぐ五感は、味覚。

はっきり言って、同人誌にはがっかりした。
選考基準は、句の善し悪しではなく、経験年数なのか?
これは、いただけない。

一方、なるほどと思えるものもある。
これは、俳句ではなく、川柳である。

お茶のペットボトルに掲載された川柳。
どれも面白みがある。
作者の背景なくして選別されたことをうかがわせるものだ。

俳句にもっと論理的な説明と選別ができるようにならなければ、廃退していくことだろう。