2017年5月25日
教育には、言葉にはできない大切なものがある

特殊な状況で生きている人たちがいる。
イスラム国では、幼い頃から、銃器の扱いを習い、敵を殺すことを教わる。

貧困な国で、極貧の生活をしていると、人の物を盗むことが悪いと感じなくなる。
無防備な方が悪いじゃん!

だから、教育というものは必要だ。
道徳なんて、つまらない科目もあるけれど、何が人にとって良いことかを話し合う機会は必要だ。
また、普段から、家庭でそういう教育をしていかなければならない。
現在、家庭での教育機能が崩壊して、学校でよくない面が出てきているという実態はある。
モンスターペアレントが子どもに適切な教育を施すとは考えにくい。

そういう意味では、教育は人の礎となる大切なものだ。
以前、詰め込み教育がよくないからと、ゆとり教育を行ったら、世の中の風紀がかえって乱れた。
あほらしい教育も多いし、勉強は、教育の一部にしかすぎないが、教育そのものから目をそらすと、人はとんでもない方向に行く。

孟母三遷という言葉が残っているが、子どもの教育のためには、住まいを3回引っ越したという話だ。
そのくらい、周囲の環境は大切になっている。

そういう基礎をないがしろにすると、いじめや悪行が横行しやすい環境となる。

私の小学校時代は、悲惨だった。
不登校はなかったが、嫌でたまらなかった。
早く小学校を卒業できたらいいと思っていた。

それに比べると、中学校からの環境は恵まれていた。
そこから、私の人生は大きく変化した。

勉強がどうのこうのという前に、そこにいて育む環境が一番の教育のように感じる。