2017年11月5日
旧友に言われてビックリした

この前の同窓会では、30年も会ってなかった旧友に出会うことができました。
その内の1人は、私が今、どうしているのだろうか?と思ってくれていたようです。

彼とは、小学校は異なるものの、学習塾が一緒だったため、私の小学生時代を知る唯一の人物でした。
彼とは、同じ塾で勉強し、同じ中学校に入りました。
高校から別の道に進んだため、連絡がとりにくくなっていました。

それでも、中学の同級生の中では、一番実家が近く、小学校の時、よく遊んでいました。
彼の家は、渡船の事業を営んでおり、広い敷地に大きな屋敷が建っていました。
地元の名家、金持ちという風に感じました。
当時、子どもが塾から家までタクシーで帰るなんて信じられませんでした。
こういうリッチな家庭とお付き合いできることはすごいことだと感銘を受けました。

その彼が、私のことを指して、
「殿は、昔からぶっちぎりにできたからなあー、今、どうしているのだろうと、親ともよく話に出てきたんだ」
とうれしそうに言いました。

それを聞いて、今度は私が驚きました。
「えっ?こんなに冴えないのに?」

新しい世界の住人になると、今度は、その地で、自分がどの位置にいるのかを推し量るようになります。
贅沢な話ではありますが、私が今、居住している(と頭の中で思っている)エリアの中で、私は、劣等生で、どうやったら、優等生に追いつくことができるのか、あるいは、逆転の方法はないのだろうかと真剣に模索しているのです。

私に劣等感を植え付けたものは、主に2種類

1つは、女性にののしられ、貶められたこと。
バカにされ、ヘラヘラ笑っているうちに、自尊心の毀損を招きました。
高校の時の同級生とは、友達であることをやめました。
大学の時の女性とは、卒業してしばらくして縁を絶ち、幾久しくなります。
それでも、潜在意識に染みこんだ負のオーラはなかなか消し去れないのです。

もう1つは、異分野に出た時の自分の能力の低さに気づいたことです。
ビジネスをやって成功している人が頭の中身をまるで知らず、文字通り、井の中の蛙にて、絶対的な敗北感に見まわれ、ポッキリと心が折れたことによります。

今は、その修復に向かっているところです。