2017年8月29日
私が賃貸マンションに移り住んだ理由

私は、高校生時代までは実家にいて、大学生活でアパートを借りました。
そして、大学を卒業して、収入を得ても賃貸住宅にずっと住んでいました。
大学時代および大学院などですごした岡山市は、実家に次いで、人生で2番目に長くすごした街でした。

後に、転勤で愛媛県に移り住みました。
3年半ほど新居浜市にいて、次いで、同じ県の東予市に転勤となりました。
そして、その中間の(旧)西条市(現在は、合併して東予市と同じ西条市になっています)で開業しました。
その間、ずっと賃貸マンションに住んでいました。
引っ越しの回数は割合多く、引っ越しする度に荷物を減らしました。

今の住居は、5年くらい住んでいます。
マンションですが、これが初めて購入した自宅となります。

それまで自宅を持たなかったことについて、私は、それでよかったと思っています。
昭和の時代、家は男の城、という風潮があって、家を持たなければ一人前でない雰囲気があって、都市圏では、多くの人がつらい通勤電車に揺られながら仕事に行き来しました。

私は、勤務地から近いところに住んでいました。
一つには、医者には、呼び出しというものがあり、すぐに駆けつけられるように病院から近いところに住んでほしいという希望が雇用側からあります。
病院社宅というものが、ありますが、あれは、家賃を補助して、「医者を近くで飼っている」というのが実態です。
事情を知らない人は、「医者には家賃補助がでてうらやましい」と言いますが、それ以上の金額でタダ働きさせられます。

最近、若い女性研修医が月200時間以上時間外労働して、自殺したことが労災として認定されました。
多くの病院で、医師の労働規定はブラックです。

この数年、離れた地にいる大学時代の友人と1年に1回くらい集まって会をしますが、一番制約の多いのは、一番大きな規模の病院に勤めている友人です。
そのため、まず、彼の予定を聞いてから、日を決めます。

一番制約のある友人は、10年ちょっと前に土地と家を購入しました。
その地に留まることにしたようです。
彼の場合、家を建てたのは、実家の近くで、研修医時代を終えて、元の街に帰っていったということです。

別の友人は、それから少しして、家を購入しました。
派遣された勤務地で結婚し、骨を埋める気になったのか、大きな家を建てました。
1人の友人は土地代が高く、別の友人は、建物が高く、2人とも合わせて7000万円くらい費用負担があったのではないかと思います。

私の場合は、5年前に彼らの半分以下の金額でマンションを購入しました。
1割を頭金で支払って、後はローンにしました。
借入先は、銀行ではなく、住宅支援機構でフラットSを適応。

20年返済で、利率が10年間は0.9%、11年目からは、1.9%になる2段階制です。
20年以内のローンは、20年超のローンと比べて、利率がかなりよいのです
変動金利ではありません。元金均等払いの固定金利です。
ボーナス払いはありません。

今住んでいるマンションは、立地がいいので、賃貸で借りても同じくらいの金額がかかり、売却しても値落ちしにくいため、何かの事情で転居しても賃貸に出す選択肢と売却する選択肢を選ぶことができます。
そういう目途が最初から立っていたため、購入することにしたのです。

家にしばられて、自由がなくなるのは、悲しいことです。

いじめで、子どもを転校させましたが、お金にいくらかの余裕がないとできないことです。
土地付きの家屋だと、貸しに出しても売却してもマイナスになるでしょう。
だから、もしも移り住まないといけない時に、どうするか?
という課題に予め備えた上で、購入に踏み切ったわけです。
賃貸マンションだと、引っ越し費用はかかりますが、一時的に必要な額で、20年あるいは30年もついて回ることはありません。

ある知人は、一時、「自分の夢は、家を持つこと」と言っていました。
その数年後、家を購入しました。
その後、「今の夢は何?」と訊ねると、「うーん」と唸っていました。
その知人とは、しばらく会ってなかったのですが、私がLINEを始めた時に会話したら、少し前に離婚したと返信がありました。
建築物の家を形成して、家族という形のない家が崩壊したわけです。

家族関係がよくないので、家を建てたら修復できるかもしれないと挑戦する人がよくおられます。
あれは、建築物と家族の両方が崩壊する危険性がありますので、よくよく考えてからにした方がいいようです。
家族関係は、人間性で解決してくださいね。