2019年10月13日
家を購入する際の問題点

私には、分からない世界。
けれども、何か自分の心の世界が乱れていると感じていました。

心理学だけでは説明のつかない領域。
霊的世界に詳しい人に訊ねてみました。

すると、私の近況とつながる霊的な世界を垣間見ることになりました。

現在、私は、一軒家を購入しようとしています。
普通に設計して、建てた家ではなく、建売住宅です。

これまで、私は、数件のマンションを購入し、売却したことがあります。
7つのマンションを購入し、その内、6軒を売却しています。

今度は、初めて、土地に根ざした一軒家を購入することになりました。

家を建てる時、通常、地鎮祭を行います。
家を購入することは、それくらい人生を左右するできごとなのです。

だから、家を購入することに対し、私は大きな懸念を持っていました。

・家を購入する場合、大きなローンを組むことが多い
・借家と比較して、近所問題があった場合でも、引っ越しが難しい
・土地は別として、上物の価値が急速に減じる

そのため、査定が行いやすいマンションと比較して、一軒家は、売却あるいは、処分する時に難しいと感じていました。

そして、一軒家を建てる時は、家族が最も幸せになる時で、その1年後には、家を建てた喜びが減じることを本や記事で見聞きしていました。

あるいは、破綻寸前の夫婦が、よりを戻す時、家を建てることが多いということも知っていました。

有名な実例では、明石家さんまと大竹しのぶさんの件です。

 

犬が住める住居

私は、家を購入してから、以前より不自由で苦しい生活を強いられている人をみているため、できれば、一軒家は避けたいと考えていました。

通常ならば、家を建てないどころか、マンションの購入もしなくていいのですが、ある1つの案件により、一軒家を購入することを余儀なくされることが勃発しました。

それは、犬を飼うことになったためです。

実のところ、現在、住んでいるマンションで、小型犬のシーズを飼っていました。
シーズは穏やかで大人しいため、ペット可のマンションに住み続けることができました。

しかし、その愛犬シーズが平均寿命にあたる15歳で、彼岸の地に移り住むことになりました。
そうして、我が家は、愛犬の癒しを失うことになりました。

喪失感に耐えられなくなった嫁は、ほどなく新しい愛犬を求めました。
近隣のペトショップでは得られなかったため、少し遠くまで足を伸ばしました。

その結果、以前とは異なる種類の犬種を飼うことになりました。
シーズは穏やかでしたが、次に購入した犬は異なりました。

ミニチュア・シュナウザーというドイツ産の犬種で、猟犬タイプになりました。

家に連れてきてすぐに思ったのは、シーズの狩猟本能は、放逐した獲物を獲得すると、その場で満足していたのが、猟犬では、捕獲した獲物を主の元に持ち帰ってくることでした。

狩猟と主との関係が深いということが分かりました。

そして、当然のことながら、愛玩犬のシーズに比べて、猟犬の行動は、本能的に動く面が強く、行動も荒っぽいことでした。

シーズと比較して、走ることも速いし、気性も荒い。
また、警戒心も強いものでした。

そのため、ペット可の賃貸マンションでさえ、騒音問題に対応することができないと判断しました。
(現在、居住している、マンションは、都市型マンションで、遮音性に優れているのですが、地方型のマンションでは、苦情が出ると判断したのです)

そうした事情により、賃貸、あるいは、分譲にかかわらず、一軒家を住居にしないと、愛犬と暮らすことができないと判断したのです。

 

神様と人間の境の領域

順風満帆な生活を送り、夫婦仲がよい中で、家を建てることがあります。
その後のことは分かりませんが、しあわせな家庭の一コマとして、よいことでしょう。

一方、離婚の危機にある夫婦が、家を建てて結束しなおそうとする時は、危険です。
その後もうまくいかないことが多いため、ローンの返済と家の始末に腐心することになるかもしれません。

家を建てるということは、大変重要なことです。
1つの家を持ち、一生かけて、ローンを返すことが一般的です。
たいていの場合、後戻りできません。

家を建てると、楽しいことがあれば、つらいこともあります。
人生の多くの時間をすごす場所ですから、とても大切です。

しかし、皮肉なことに、転勤のあるサラリーマンの場合、「家を建てると、転勤が決まる」ということが往々にしてあります。

家を建てるということは、ローンを抱えることになるため、そうそう会社を辞めることはないだろうと、強気に出ることがあります。

自分がほとんど住まないけれど、「家族のために建てる家」という意義は否定しません。
それでも、悲しい面持ちがします。

家は、土地に根ざした住まいです。
土地には、私たちには分からない、何らかの縁や魂が入っているかもしれません。

最近、「あれ?」と思ったことがあります。

神社の隣に建てた家や店には、何かよくないことがあるのではないかと感じたことがあります。

飲食店の店主が、テナントから、新築の店を建てました。
その数ヶ月後、ある期間、店は休業となっていました。
予約の電話をした際には、次に予約を入れる目途が入っていなかったようです。

2〜3ヶ月して、店の近くを通ってみると、灯りがついていて、再開したことが分かりました。

しかし、店主の顔は、以前より黒い感じで、精彩に陰りがみられました。
休業中に電話をとる女性はいつも同じ声で、悲しそうに謝っていました。
病気をされたのかもしれません。

別の場所で、裏が神社で、値段の安い土地がありました。
私がクリニックを開業するときに、その当地の購入も検討しました。
しかし、土地の面積が狭くて、駐車場が十分にとれないこと。
そして、神社の木の陰になって暗い雰囲気がしたこと。
それで、候補から外しました。

後に、新しいクリニックが設立されました。
よい先生で、私自身もそこで治療を受けていました。

ところが、開業して流行っている中、数年後、その方は、天上の人となってしまいました。

 

昔、家が密集していない頃、神社の敷地の周囲に草むらや林など、曖昧な空間があって、その先に人の家がありました。
人が、その曖昧な空間に入ってしまったのかもしれません。

それが、神様の領域を汚すことになり、何かのトラブルが起きやすくなる……というのは、仮説、あるいは、迷信ですが、案外、あなどれないものがあるように思います。

 

家が建つと、墓が建つ

嫁が家を買おうと言って、決めた後、不思議なくらい嫌なことが起こりました。

・診察時間の延長
・これまでにない書類の大幅な増大
・次に続かない診察の繰り返し

正直、疲弊しました。
しかも、これまでに経験したことのない無力感に襲われました。

世の中が、こういう流れなのか?
それとも、何かがおかしいのか訝りました。

理屈では説明できない現象に触れ、霊的世界に詳しい方に訊ねてみました。

すると、
「家が建つと墓が建つ」
「墓が建つと家が建つ」
と教えられました。

家が建つと墓が建つとは、私の切羽つまった状況でしょう。
一方、私は、3年前に父がなくなった後、墓を建てたのです。
墓には、父の名前のみならず、生存している私(生存している者は、赤字で書いている)の名前も刻まれていました。

そうした墓が建ったなら、家が建つのも道理です。

ただ、その悪化を改善する方法があると教えてもらいました。
家が建つ土地には、神様がいる。
その際に、元々いた地元の神様が、異変に気づけといろいろなメッセージを送るという。
それが、人間には、嫌な境遇ととらえられると言われました。

真偽のほどは分かりませんが、私は、地元の神社にお参りに行くとともに、その神社の神主さんに祈祷してもらうことにしました。

 

祈祷での作法にイライラする

元々、最低限で、神社へのお参りをするだけでいいと教わりましたが、結局、神主さんに祈祷してもらうことになりました。

神主さんに祈祷してもらったのは、10年ぶりかもしれません。
お年も召されて、違う人のように見えました。

というのは、入り口に上がる前に、怒ったような口ぶりで、お尻を神様に向けてはいけないと言ったこと。
お酒を献上した時も、作法の注意を強調したこと。

お年を召されて、頑固になったのかもしれません。
昔、子どもとともに祈祷して頂いた時には、注意はあれども、もっと穏やかにやさしく諭してくださいました。
神主の性格が変貌したのか、それとも機嫌が悪かったのか?

頑なな態度に私は、一度、神主さんに対して、イラッとした気持ちを持ってしまいました。

しかし、祈祷が始まってから頭に作法のことが浮かびました。
作法がないと、心の秩序が乱れてしまう。
自分の心の中は、乱れ、ゴミ屋敷になってはいないかということでした。

現存する家の中でも、ゴミがあり、整理ができていないのは、やはり頭の中が整理できていないということなのかと思い当たりました。

神主さんが、いかにあるかは関係なく、自分の心の中を整理して、清めていくことが大切だとだと知りました。

祈祷が終わった後、せっかくだから、尾道ラーメンを食べて帰ることにしました。

老舗の2店舗の内、1つは、休業中ですから、学生時代によく訪れたラーメン屋に向かいました。
開店30分前だと一番乗りで、その日の最初の客となりました。

この店の主も高齢で、いつ店を閉めてもおかしくありません。
もしかしたら、食べ納めかも、という面持ちで熱いスープをすすりました。

一番人気の老舗は、休業なのか廃業なのかと衆人が疑問視しています。
たまたま、店の横を通った時、シャッターが開いていて、厨房の灯りがついていました。
今、息子さんが提供するに値するラーメンを作ろうと修行しているのではないかと想像しました。

滅び行く伝統と受け継がれていく伝統。

ラーメンを食べた後は、家に帰って、甘ったれ犬をたまさか撫でました。

その後、不思議なことに私の切羽つまった閉塞感は取り除かれました。

それが、神様のおかげなのかどうか、私には理解できません。
ただ、面倒でも、自分の心を清める行動を行う必要があると考えました。