2019年4月14日
流行らない串カツ屋に行ってみました

この数日、なぜか、串カツが食べたくなっていました。
といって、どこでもいいわけではない。
おいしい店で、味わいたいと考えていました。

今日は、たまたま勤務地のマンションに宿泊したので、徒歩で出かけられる範囲で店を選びました。
以前、一度だけ訪れたことのある、串カツの店です。

比較的高齢の夫婦が営む、ひなびたお店です。
技術が高いとは言えませんが、安い料金でお腹いっぱいになります。

以前、訪れた時もそうでしたが、私が滞在している1時間少々の時間、他のお客さんがのれんをくぐることはありませんでした。
お店は開けているけれど、どれくらいのお客さんがきているのか、心配してしまうほどです。

それよりもっと前に、別の寿司屋に行った時、やはり同じように自分1人だけの応対となったことがあります。
その寿司屋は、以前は、ランチもしていましたが、時代の流れから、昼間の来店客が少なくなり、ランチを中止しました。
だからといって、夜のお客さんが来ているかどうかは分かりません。

そのお寿司屋さんでは、テレビは、大将が見える位置にあり、客が見るには、後ろを振り向かないといけません。
客のためのテレビではなく、自分の娯楽ためのテレビとなっています。

今回、気づいたのは、串カツの店では、テレビはカウンターにいるお客さんから見える位置にあるのだけれど、大将が、時々チャンネルを変えていたことが気になりました。
これも、客のためのテレビではなく、暇を持てあましている主のテレビとなっているのでしょう。

客が来ないのは、景気や立地、時代の趨勢だと思っているのかもしれません。
確かに、そのことも否定はできません。
しかし、客の要望や満足度を無視した時点で、
「すでに終わっている」と言えます。

自分ができる範囲を超えていたら、仕方がありません。
しかし、2店に共通してみらるのは、
「やる気をなくしている」
という風にしか感じられません。

お客さんのために奉仕、とは言いません。
でも、お金をかけないで、工夫でできることもあると思うのです。
それを世の中のせいにしているとしたら、残念で仕方がありません。