2017年12月24日
20年ぶりに大学の同級生に会う


学生時代によく遊んだ友人が何人かいる。

その内の1人は、現在は、実家のある青森県に住み、勤務している。

学生の時は、音楽(主にクラシック音楽)と本の話をして、安くてうまいものをよく食いに行った。
互いのアパートにもよく行き来した。

大学を卒業して袂を分かち、次に会ったのは、彼の結婚式であった。
彼の結婚式は、新しいホテルの広い会場で行われた。
総勢300人の出席者がいた。

さて、その後、彼は、大学の助手となり、臨床をやりながら、研究と講義を行う生活となった。
今では、准教授となり、他大学にも知られる「偉い人」になっている。

2年前に一度、会える可能性があったが、地元の大学の「偉い人」と会食して、会うことがかなわなかった。

以前、同じ病院で勤務する上司で、きさくに話せていたのが、後に出世して、宴席が遠くなり、集まる人も違ってきて、気楽には話せない人になった人もいる。

今回、友人は、若い部下を連れて、訪れた。
しかし、「偉い人」は他にいなかったため、個室になっている居酒屋で、きさくに話すことができた。

そして、互いの現在の概略を語り、過去を振り返ってみた。

正直いって、大学卒業後に、彼がアカデミックの世界に行くとは思ってもいなかった。
それは、彼も同様であった。

それが、青森の地でやっていくと、大学で後を継いでマジメにやっていく人がいないので、いつの間にか、そういうポジションになったらしい。

一方、私たちが卒業した岡山大学は、地方都市にありながらも、歴史が古い。
(京都大学医学部より古く、後に京都大学医学部が創設された時、そこから多くの教授や医局員が流れていった)
派遣先の病院が多いため、自校の卒業生だけでなく、周辺の大学からも多くの医局員を吸収する。
層が厚いので、出世欲がないと、大学の医局にはいられない。

現在、過疎県の医学部では、卒後2年目で、助手になったという話を聞いたことがあるが、私の母校で、そんなことはありえない。
卒後、10年くらいが一つの目安だ。

人数が多く、優秀な人間も多く、野心を持った人たちがいる医局で生き残るのは、相応の決意がいる。
私は、そこまで勤勉欲と権威に憧れていなかったため、中央から離れたのかもしれない。

こうして考えてみると、人の少ない医局に入るのも自分を高める材料になるかもしれない。
人がいないから、やらないといけない。
地位そのものが、その人のあり方を変えていくということもある。

今日、会った友人はポジションを上げながらも、権威を笠に着ない。
そういう人とは、これからも交流を続けていきたい。