2019年6月30日
子どもを外に出してみると…

必要な努力をせず、渡した金をすぐに使い切る子どもを外に出した。
1人暮らしにしては、贅沢なマンションを借りた。

そして、やはりというか、思った通りというか、
用事は、1つしかない。

金の話だ。

5千円渡したら、靴を買ったので、1000円くらいしか残らなかったという。
何の靴かと思ったら、屋内の上履きである。
そんなのは、なくてもいい。
あるいは、1000円に満たないスリッパでいい。

それで、「生活カツカツや」
と言ってきた。

「庶民の生活は、みんなカツカツなんや」
と返してやった。

そもそも、銀行のキャッシュカードを渡して、4万円くらいは引き出せるようにしているのに、暗証番号を間違えて取引はストップしてしまった。
それも暗証番号を教えている母親の話をろくに聞かずに数字の間違いを複数回したらしい。
暗証番号を3回間違えると、そのカードが使えなくなるという事実を初めて知った。

口座の名義は私だから、子どもは銀行に引き出してくれということもできない。
それで、電話連絡してきたのだ。

だったら、「キャッシュカードを早急に送れ」と言うと、
今は、300円くらいしかないからという。

明日、現金書留で1万円送ると言えば、
「今日、送って」
と生意気をことを言う。

「食う物あるから、それまでつないでおけ」
と言ってやったら、
「動く量、同じじゃん」
と言いやがった。
「嫌じゃ」
と応えると、
「教科書を買うお金がない」
と返事がきた。

「教科書の内訳と値段の見積もりを送れ。それが、社会の常識!」
と説明すると、通信が途絶えた。

お金の使い方は、自分で稼いで、使って確認していかないと身につかない。

上記の話は、実を言うと、LINEでの会話である。
通信費が無料の携帯電話で話をしたら、1分もしない内に、通話を切られた。

同じ携帯電話で、肉声の会話をするではなく、メールでのやり取りで話をしている。
コミュニケーションの形態が、ずいぶんと変わってきていると感じている。

夏目漱石の小説では、某君に会いに出かけたが、あいにく留守だったという内容の記載がある。
電話のない時代では、いるかいないか分からない相手の元を訊ねていたわけだ。

コミュニケーションとる手段が増えると、逆に人間関係が希薄になっていくのかもしれない。